鮑川鮎夢の備忘録

日々感じたことを、オールジャンルで脈略なしで書き綴ります。

東日本大震災の時の話

その日は朝から幕張で仕事だった。総合展示会なるものが開催されており、そこに参加していた。そもそも気乗りがしないイベントなので、そこから抜け出す為に無理矢理に夕方のアポを入れていた。

【15時30分、宇都宮】

13時に幕張を出発すればだいたい間に合う。予定通りに幕張を出発し、東北道を北上していた。途中で北関東道に入り、壬生PA辺りだった。その時聞いていたラジオの生放送で地震の発生を知る。アナウンサーが懸命かつ冷静に状況を伝えているが、その声は揺れの大きさを表すかのごとく、明らかに震えていた。それを聞いて大きな地震なんだろうという認識はあったが、自分はさほど恐怖を感じていなかった。ほとんど車の走っていない高速道路上にいたので周りの状況が掴みにくかったし、走行中という事もあって体感する揺れも感じにくかったのだろう。しかし、冷静に周りを見てみると標識が尋常ではないほど揺れていた。揺れが収まりしばらくすると、高速道路の掲示板には

「ダイジシン発生、次のインターでおりろ」

みたいな表示。そのまま次のインターで下りる。その辺りは停電し、信号機も消えていた。とりあえず近くのコンビニでお茶でも買おうと思い店内に入った途端に大きな余震。自分が体感した地震としては最大だった。それで改めて事態の深刻さを知る。

当時、自宅は東西線の南行徳、職場は日本橋にあった。とりあえず南下して都内を目指さなくてはならなかった。信号機も消えているので、道路は既に大渋滞。特に国道四号線はひどかったので、カーナビの地図を頼りに裏道を探しながら南下を続けた。3時間ほどで野田辺りまで来る事ができた。その頃には、都内で死者が出たとか、東北が凄まじい状況になっている事が伝えられていた。

木場辺りで嫁と合流し、南行徳の自宅に着いたのは午前1時過ぎだった。木場から南行徳、距離にして10キロほどだか4時間かかった。徒歩で帰宅する人で歩道は溢れ、自転車屋には長蛇の列。ラジオからは信じ難い被害の状況が流れている。とにかく、あの異様な雰囲気ははっきりと覚えている。

あれからの輪番停電や、飲料水とガソリンの不足、テレビCMの自粛など周りで実際感じた1つ1つの出来事から何かを学ばなければならない。しかし、自分にそれができているのだろうか?問いながら、防災グッズの見直しをしようと思う。

んー、ダメだなぁ。